夕方になると、部屋の光がゆっくりと落ちていきます。「今日も何もしなかったな」と、胸の奥がぎゅっと重くなる時間です。
朝なのに起き上がれず、カーテンの隙間から漏れる光の中で、スマホを見ては横になる。そうしているうちに今日もまた、一日が終わっていく。
これは、そんな夕方をいくつも越えてきた私の話です。
- 休職中の、何もできない一日
- 夕方にやってくる自己嫌悪
- 買ったのに開けない本
- 誰にも言えない罪悪感


この記事では、その罪悪感を「消そう」とするのではなく、「責めなくていいんだ」と思えた私の小さな気づきを書いています。
最後に、気力がない日でも開けた本を1冊だけ紹介します。
読み切れなくても大丈夫です。1ページだけで、いいんです。
ここから先は、休職中の私が実際に考えていたことです。少し長くなりました。
下の目次から、気になるところをひとつだけ開いて、そこだけ読んでもらえたら、それでじゅうぶんです。
休職中に何もできない日の罪悪感

何もしていないはずなのに、自分を責める言葉だけが頭の中でずっと鳴り響いている。
あの頃の私の中にあった罪悪感には、いくつか決まったかたちがありました。
夕方に押し寄せる自己嫌悪
朝は身体が動かず、薄暗い部屋で横になったまま。
窓の外の明るさがだんだん橙色から群青色へ変わっていくのを見ていると、一日を無駄にしてしまったという思いだけが、取り残されていきました。
ふしぎなことに、明るい昼間よりも、部屋の影が濃くなる「夕方」という時間が、一番胸を締め付けました。
休むように言われたのに休めない
「今はしっかり休んでくださいね」と言われていたのに、休んでいる自分をどうにも許せませんでした。
「休むこと」があの頃の私の仕事だったはずなのに、その上手な休み方もわからず、落ち込んでいたのです。
何もしていないのに疲れている
一歩も外に出ていないのに、夜になるとぐったりと疲れ果てている。
今思えば、自分を責める作業に一日中エネルギーを使っていました。
罪悪感を責めなくていい理由

罪悪感は、「消そう、無くそう」とすればするほど膨らんでいきます。
私にとって救いになったのは、それを消すのではなく「そう思ってしまうのは、今の私にとって自然なことなんだ」と、受け止めるための小さな視点を持てたことでした。
休職は何もしない時間ではない
休職中の時間は、まるで時計の針が止まったように感じていました。
けれど本当は、目に見えない深いところで、傷ついた心が一生懸命に元の形に戻ろうと動いている時間だったんです。
植物が冬の間にじっと根を張るように、止まって見える時間にも、ちゃんと「再生の作業」は進んでいました。
動けない日にも過ぎているもの
何もできなかった日でも、時間は静かに、等しく流れていきます。
当時は「無駄な一日を過ごしてしまった」と泣いていましたが、あとから振り返ると、あの「何もできなかった一日」の積み重ねの先に、今の私がいました。
身体がすでに限界だったこと
休職に入る前、とあるきっかけのたびに、偏頭痛と湿疹が必ず出ていました。翌日に高熱が出ることも。
ずっと気持ちの問題だと思おうとしていましたが、身体のほうが先に、はっきりと答えを出していたのだと思います。
逃げることも選べなかった自分
比べていたのは、元気だった頃の自分だけではありませんでした。
同じ場所にいて潰れずにいられた人。早くに見切りをつけて、辞めることを選べた人。そのどちらにもなれないまま、逃げることすらできずに、動けなくなった自分。
戻りたいのに戻れない。そう責めている間も、身体は日常のことすら思いどおりに動いてくれませんでした。頭ではわかっているのに、動こうとすると怖気づいてしまう。そんな自分のすべてに、何度も泣きました。
責めて、動けなくて、また責める。罪悪感は、そうやって回り続けました。
今なら少しだけわかります。あれはきっと、逃げなかったのではなく、逃げる力さえ残っていなかったのだと。
気力がない日でも開ける1冊

本を開いても文字が滑っていくばかりで、数ページで閉じてしまう。
アロマを焚いて気を紛らわせようとしても、集中できない。休職中の私はずっとそうでした。
それでも読みたくなって、気づいたら何冊も買っていました。時間はあるはずなのに読めなかったんです。
そんな「文字を読む気力すらない時期」に、少しだけめくることができた本があります。
読めなかった本があったこと
その前に、どうしても読めなかった本の話をさせてください。
Audibleで『嫌われる勇気』を聴いていたことがありました。対話形式なら、耳で聴くだけでも読書になるのではないかと思ったからです。
けれど、書かれていることがわかるほどに「それができていない今の自分」の不甲斐なさが浮き彫りになっていきました。凝り固まった私の頭では、その哲学を、自分を傷つける刃に変えてしまったのです。
私は胸が苦しくなり、そっと再生を止めました。今振り返ると、あのときは読むタイミングではなかったのだと思います。必要だったのは正しい教訓ではなくて、ただ、包み込んでくれる優しさでした。
水面の写真で止まっていられたこと
そんな中で手にとったのが、Payaoさんの『それでも光に手を伸ばす』です。

ページを開いて最初に目に飛び込んできたのは、キラキラと光る水面の写真。
紙の上なのに、どこかまぶしくて。ただ、きれいだなと、その光に惹かれていました。
あの頃の私は心がとても繊細で、純粋に美しいもの、柔らかいものしか受け付けなくなっていました。
文章を読み進める気力はなくても、この本の美しい写真に触れているだけで、なんだか心が穏やかになっていったのです。
最初の1編だけで胸がいっぱいになったこと
「はじめに」のページには、こう書かれていました。
人生には、どん底がある。
Payao『それでも光に手を伸ばす』(KADOKAWA)より
息をすることさえ苦しい朝、自分の価値が何ひとつ感じられない夜。泣きたいのに笑ってやり過ごしてしまう感覚。
まるで誰にも言えなかった私の内側をそのまま映し出したような言葉たちでした。
その日に読めたのは、「うまく言い返せない人は、やさしい人」という、ほんの短い1編だけです。
胸がいっぱいになって、そのまま静かに本を閉じました。でも、それで十分だったんです。
最後まで読んだときの気持ち
最後まで読んでみると、あの頃の私には少し遠く感じるお話もありました。それでも、考え方や言葉の選び方がとても素敵な本で、小さなカフェで友人の話を聴くように、Payaoさんの想いに「うんうん」と耳を傾けている、そんな気持ちになりました。
人との出逢いと同じで、本との出逢いにも一期一会の巡り合わせがあるのだと思います。
私はこの本の、すべての言葉にうなずけなくてもいいと思うんです。
置かれている状況や心の状態が違えば、きっと同じ言葉でも、受け取り方や見え方は変わってきます。
もしかしたら今は響かない言葉にも、別の日には違う感じ方が芽生えるのかもしれません。
休職中の罪悪感によくある疑問

本を閉じたあとも、罪悪感がすっかり消えたわけではありませんでした。
あの日々の中で、私の心に何度もグルグルと渦巻いていた問いについて、今振り返って思うことを書いてみます。
罪悪感は時間で消えるのか
完全に消えるというよりは、薄く透き通っていく感覚に近いかもしれません。
ふっと顔を出す日もありますが、「あ、また来たな」と静かにやり過ごせるようになりました。
家族や周りへの申し訳なさ
申し訳なさは今もあります。けれど、元気なふりをして無理を重ねていた頃のほうが、結果として周りを心配させてしまっていました。
今は無理をしないことが、一番の恩返しかもしれません。
動けない日に無理をするべきか
無理をした翌日は、決まって起き上がれなくなるほどの反動が来ました。
そんな日は白湯をゆっくり飲んで、ただ横になっていました。動けない日は「しっかり休むという選択」をしたのだと思うようにしています。
SNSを見て落ち込むとき
まぶしい投稿を見て心がざわつく日は、部屋の小さな植物を眺めたり、温かいお茶を淹れたり。
視界に入る情報を、自分が心地よいと思えるものだけに絞るようにしていました。
本すら読めない日の過ごし方
空をぼーっと眺めたり、日当たりのいい場所で何度も眠ったりしていました。
温かいお日様の下で鳥の声を聞いていると、ふしぎとこわい夢も見ず、心が休まっていた気がします。夕方にはまた落ち込んでしまいましたが、あの眠りは身体に必要な回復の時間でした。
今日を越えるための1ページ

何もできない一日の中に生まれる罪悪感。
それは、これまで誰に対しても、仕事に対しても、真面目に向き合ってきた証なのかもしれません。
- 夕方にやってくる自己嫌悪
- 止まって見える時間にも進む再生
- 逃げる力さえ残っていなかったこと
- 気力がない日に開けた1冊
1ページも開けない日が、あってもいい。
そんな日はお気に入りの写真を眺めるだけでも、温かい飲み物を一口飲むだけでもじゅうぶんです。
もし『それでも光に手を伸ばす』が気になったら、まずは最初の写真や「はじめに」のページを開いてみてください。たとえそこで静かにページを閉じても、それもひとつの読書なのだと、私は思います。
それでも光に手を伸ばす/Payao(KADOKAWA)
\ 最初の写真だけでも、見てみてください /
この記事を書いているのは、同じように夕方が苦手で、休職を経験してきたひとりです。
どんな場所なのかは この森について に書いています。自由に立ち寄って、自由に通り抜けてください。
