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【適応障害】『嫌われる勇気』がつらいのは、きっと納得できるから

『嫌われる勇気』がつらかった日に、自分に向けなくていいと伝える、淡い森の色とオリーブの枝のアイキャッチ画像 本

休職していた頃、Audibleで『嫌われる勇気』を聴いていました。
第二夜へ進むにつれて、まるで自分が責められているように感じて胸が苦しくなり、再生を止めてしまったんです。

私は長い間、それを自分の弱さのせいだと思っていました。

こんな日に読んでいただけたら
  • 読むほど苦しくなる名著
  • 「思い込み」に聞こえてしまう言葉
  • わかるのに、できない自分
  • 途中で閉じたままの本
休職中に眠れなかった頃の自分を表す夜の森と細い月
あの頃の私
「いい本なのに、どうして聴くほど苦しくなるんだろう……」
時間が経ってから振り返っている今の自分を表す朝の森と光
いまの私
「それでも、読みたい気持ちはずっとあったんです。」

『嫌われる勇気』は、そのあと時間をかけて最後まで読みました。
振り返ってみて、思うことがあります。
読めずに手が止まってしまったのは、私が弱かったからではないのかもしれません。

ここから先は、休職当時のことを思い出しながら書いています。少し長くなりました。
下の目次から、気になるところをひとつだけ開いて、そこだけ読んでもらえたら、それでじゅうぶんです。

『嫌われる勇気』がつらかった日

『嫌われる勇気』がつらかった日を表すバナー画像。納得できるから刃になる、という言葉

『嫌われる勇気』は、たくさんの人の背中を押してきた本だと思います。
私も前向きになる考え方がほしくて、書籍を手にしたひとりです。けれど、休職中の私にはその言葉の意図がまったく違う形で届いていました。

対話形式なら聴けると思ったこと

気になる本を何冊も購入しては、何度開いても、どれも文字が滑ってしまう。時間はあるはずなのに、読書に身が入らない頃。
『嫌われる勇気』も読みたくて手に入れた1冊でした。開いても、やはりページは進まないまま。

筆者が手に持っている岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』。青い表紙に緑の帯がかかっている
読みたくて買った、手元の1冊

そんなとき、Audibleで聴けることを知りました。
哲人と青年の対話で進む本なので、耳で聴くだけなら続けられそうだと思い、Audibleでも購入したのです。

第二夜で再生を止めたこと

いざ聴き始めると、感銘を受けました。
ですが第二夜のあたりで、自分が適応障害だと診断されたこの状況も、すべて私の思い込みではないかと考えてしまったのです。

眠れないことも、不安も、次々に起こる身体の不調も、私が自分で作り出しているのかもしれない。
そう思うと負のループの始まりでした。気づけば自分を責めてばかり。
そうして息が苦しくなってきた頃、そっと、再生を止めました。

読みたい気持ちは確かにあったのに、紙の本からも、耳からさえも、受け付けることができなくなったのです。

納得できるから刃になったこと

あなたの人生は、これからの選択で変えていける。
この本が届けてくれるのは、そんな力強いメッセージだと思います。だからこそ惹かれるし、これだけ長く読み継がれているのでしょう。

けれど心に傷を負い、これからという未来を見失っていた私は、今という時間を過ごすだけで精一杯でした。
未来に向けたその論理を、今の自分にばかり当てはめてしまい、自分を責めることしかできなかったのです。
頭の片隅では納得できるからこそ、それを刃に自分の傷を広げていました。

適応障害と目的論は別の舞台

適応障害と目的論は別の舞台という章のバナー画像。身体は声を出していた、という言葉

アドラー心理学には、人は目的のために感情をつくり出す、という考え方があります。
生き方や人との関わりを見つめ直すうえでは、大きな気づきをくれる考え方です。ただ、あの頃の私のつらさにまで当てはめる必要はなかったのかもしれません。

これも思い込みなのかと思ったこと

つらいのは、私の心が弱いから。全部、自分で作り出した偽物なのかもしれない。
休職中の私は、本の言葉をそのまま自分に当てはめていました。

目的論という考え方が、あの頃の私には「今の状態は、あなた自身が望んでいるもの」と聞こえていたのです。
私は自分から適応障害になることを選んだの? こんなに苦しいのに? そう問い返しては、負のループに戻っていく日々でした。

「病は気から」という言葉もあるので、自分の考えが正しいとは思っていません。
それでも、哲学の考え方と、私が受けた適応障害の診断では、立っている舞台が違うのではないかと感じています。

身体が出していた本当の声

私はあの頃の不調をこう受け止めています。思い込みではなく、もともと敏感な心と身体が、強すぎるストレスに反応していたのだと。
眠れない夜も、止まらない不安も、あちこちに出ていた不調も。身体はずっと、本当の声を出していたのだと思います。

頭は「もっと頑張らなきゃ」「これ以上休んだら迷惑をかける」と言い続けていました。
けれど身体は、全部が壊れてしまう前に、もう止まってと伝えてくれていたのかもしれません。

骨折中に走る練習をしていたこと

この本は、きっと自分を変えていくための本です。でもあの頃の私に必要だったのは、休むことでした。
今思えば、骨折して「しっかり休んでくださいね」と言われているのに、正しいフォームで走る練習を必死にしていたようなものです。

息は苦しくなるし、痛いし、できなくて当然でした。
骨折している人が走ろうとしたら、きっと周りは止めてくれます。でも心の傷は目に見えないので、気づけるのも、気づいてあげられるのも自分だけなのかもしれません。

この本を自分に向けなくていい理由

この本を自分に向けなくていい理由という章のバナー画像。自分に向けなくていい、という言葉

ナイフには、野菜を切る、果物を切るという、それぞれの正しい使い方があります。
けれど、どのナイフも人を傷つけてしまう鋭さを持っています。本の言葉も、向ける先によっては、自分を傷つける刃になってしまうのかもしれません。

なぜあの頃の私は、その刃を自分に向けてしまったのか。そして、なぜ向けなくてよかったのか。
その答えは、あの頃の苦しさの中にありました。

わかることとできることは別

実は第二夜の考え方は、私にとってまったく新しいものではありませんでした。
悩みは人との関わりの中にしかないこと。孤独を感じるのにも、誰かの存在が必要なこと。はっきりとした形ではなかったけれど、すでに私の中にふわっとあったものです。

自分の心の脆さを知っていたからこそ、許容範囲の中で人との関わりもそれなりにうまくやっていました。
第二夜は、それをはっきりと形にしてくれた章です。だからこそよく理解できたし、すっきりもしました。

そのぶん、わかっているのに前はできていたことができなくなった自分は、やっぱりだめな人間なのだという思いが、心の奥へ刃のように刺さったのです。
たとえるなら、プログラムは動いているのに、途中の回路が壊れていて答えが出ない機械のような状態。答えが出ないから、心には何度も何度も同じ指示が届き、そのたびに負荷だけが積み重なっていきました。

誠実に向き合ってきたからこその痛み

けれど今は、あのときの苦しさを少し違う視点で捉えています。
わかっているのにできないでいたこと。そのことにあれほど苦しんでいたのは、自分の人生や人との関わりに、誠実に向き合おうとしてきたからこそ生まれた痛みなのだと思います。

自分を裁く道具にしないということ

この本の言葉は、生き方を見つめ直すためには、きっと心強い道具です。
あの頃の私は、その道具で自分を裁いていました。

ナイフにそれぞれの使い方があるように、本の言葉にも、自分に向けなくてもいいタイミングがあるのだと思います。

『嫌われる勇気』が違って見えた日

『嫌われる勇気』が違って見えた日を表すバナー画像。私の中の季節が巡った、という言葉

この本のことは、再生を止めたあとも、ずっと心に残っていました。
納得のいく話だったからこそ、このまま閉じたままにしたら、大事な何かを置いてきてしまうような気がして、こわかったのです。

そして、しばらく日にちをおいてから、もう一度続きを開いてみることにしました。せっかく紙の本も手元にあるのだから、今度はAudibleを耳で聴き、目で文字を追いたいと思ったのです。

机の上に並べた岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』の紙の本と、Audibleの再生画面を映したスマートフォン
耳で聴きながら、目で文字を追った2回目

もしかしたら、耐性がついただけなのかもしれません。けれど、受け取り方自体が変わっていました。
自分を裁く言葉ではなく、ひとつの哲学として受け取ることができ、無事に最後のページまでたどり着いたのです。

きっと本ではなく、私の中の季節が巡ったことが、一番の理由だと思います。刃に思えたものが、違う側面を見せてくれました。

適応障害と『嫌われる勇気』の疑問

適応障害と『嫌われる勇気』のよくある疑問のバナー画像。私の場合はこうでした、という言葉

あの頃の私が心の中で何度も浮かべていた問いを集めました。
正しい答えではなく、私の場合はどうだったかを短く書いてみます。

休職中に読んでもいい本なのか

私の場合、1回目は苦しくなって途中で止めました。
読める日もあれば、読めない日もあります。同じ本でも、そのときどきの気持ちの赴くままでいいと思います。

読んで苦しくなるのはおかしいのか

おかしくないと、私は思っています。
納得できる言葉だからこそ、苦しくなることがあります。あの頃の私が、まさにそうでした。

途中でやめてしまってもいいのか

私は第二夜で再生を止めて、日にちをおいてから続きを開きました。
本はそのまま待っていてくれます。
作中で語られる「自由」の定義と同じように、誰の目も気にせずに自分のタイミングでページをめくる。それもまた、読者としての自由なのかもしれません。

アドラー心理学は適応障害にも当てはまるのか

私は、当てはめなくていいと思っています。
哲学は生き方を見つめ直すもので、私が受けた診断は、心と身体に実際に起きていたことでした。医学のことはわかりませんが、2つは別の舞台の話だと感じています。

Audibleと紙の本のどちらがいいのか

1回目はAudibleだけ、2回目はAudibleを流しながら紙の本で読みました。
音声には役者さんの演技があって、議論がどんどん白熱していきます。自分のテンポでじっくり進めたいときは紙の本、その熱に身をまかせたいときはAudibleが合うのかもしれません。
戯曲や舞台を観るのが好きなら、両方を同時に開くのも、また違う読書になると思います。

自分に向けなくていい1冊

まとめのバナー画像。裁く道具ではありません、という言葉

『嫌われる勇気』は、力強くてとても素敵な本です。
だからこそ、心が傷ついている日には、刃になってしまうことがあります。

この記事で書いたこと
  • 納得できるから刃になった本
  • 身体が出していた本当の声
  • 骨折中の走る練習
  • わかることとできることの違い
  • 巡っていった私の中の季節

この本は、自分を裁く道具ではありません。
気になったら、手に取ってみてください。
一度に最後まで読めなくたって、大丈夫です。

筆者が持っている岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』の書影。淡い木目の上に置かれた青い表紙と、緑の帯嫌われる勇気/岸見一郎・古賀史健(ダイヤモンド社)

\ この記事で読んだ『嫌われる勇気』です /

この記事を書いているのは、途中で本を閉じたことのある、休職を経験してきたひとりです。
どんな場所なのかは この森について に書いています。自由に立ち寄って、自由に通り抜けてください。

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